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先日実施された新学年クラス分けテストの成績表を頂いた。わずか1点の差で、またひとつ下のクラスに逆戻りになったので、KAZはたいそう悔しがっている。私は、「そんなに悔しいのだったら、次のテストで挽回しなさい。」と励ました。彼のこの1年の成績を振り返ってみると、「普通」をキープしているなという印象を受ける。すごくできるというわけはなく、かといってできないというわけでもない。数字だけを見たら、実に普通。
時々行われる塾の保護者会でも、先生が繰り返し「点数は重要ではない。注目しなければならないのは、正答率が高いのに、間違えてしまった問題。そこをしっかり勉強するように。」と仰っている。私も最近は、数字は数字と受け取り、KAZはどこがダメなのかということを成績表から分析するようになった。 上がったり下がったりしている折れ線グラフもじっくり見て、「国語が下がっている、なぜだろう?」と考える。漢字の読み書きの伸びが悪いことと、物語を読み取る力がもう少し欲しいなと思う。やはりもっと本を読ませなければならないと、最終的にそこへ考えがいきつく。算数も問題点はあるのだが、今後の課題は国語だろう。基本は国語。国語力が伸びれば、算数も伸びるという私の分析結果だ。 正答率が高いのに間違えてしまった問題というのは、やはり見逃せない重要ポイント。そこはきっちり反省させて、次回のテストに臨みたい。そうすればまた返り咲く。先生いわく、3年生まではプレッシャーをかけなくていいそうだ。 今年もいよいよ中学受験シーズン到来で、塾の先生方も大忙しになるため、しばらく塾はお休みになる。その間、今年も中学入試分析会が開催されるので、去年同様、今年も電車に乗って1人で行って来るつもりだ。これはもう私の趣味である。入試分析会に参加して将来に備えようというのではなく、興味があるから行って来ようというものだ。
現実逃避をせず、しっかり現実を直視し、自分の境遇を受け入れるということは、とても重要なことであると私は思う。だが、なかなかそれを受け入れられない人もいるようで、私がいくら言っても聞かない。もうこれで最後!という気持ちで、失礼を承知で手紙を書いたら嫌われた。
童話にしたらこんな話。あるところに元気な人と今にも飢えて死にそうな人がいた。飢えた人は元気な人にパンをやろうとする。元気な人はそんな今にも死にかけた人から、貴重なパンを受け取ることができない。だが、「結構ですよ。」などと言ってあいまいに対応しても、その飢えている人はあなたにパンをやろうとするばかり。感謝の気持ちだからと言って。 だから、元気な人はこう言った。「いりません。私はパンが好きなじゃないの。自分の食べたいものを食べるわ。」当然飢えた人は怒る。なんて言い草だ。それほど言うならパンはやらん。自分が食べてしまうわ!と・・・ 元気な人は嫌われてしまったが、その飢えた人は飢え死にしなくてすんだとさ。 めでたしめでたし。 飢えて死にそうだった人は自分が助かったことに気づいていない。それどころか、「パンが好きじゃないのよ!」と言った人の真意にも気づかず、「失礼な奴だ!」と自分からその人を遠ざけた。バカだなと思う。バカだなと思うけれども、パンを拒否した元気な人はそれでよかったと思っている。こうでもしなければ、飢えた人は飢え死にしてしまっていただろう。それに比べれば、自分が嫌われることなど、たいしたことなどないのだ。 私は、KAZにはこのお話の教訓を理解してほしいと思う。創作童話だが、目に見える事実だけを見ないで、その裏にある真実を見てほしいということだ。物事の理由にまで、きちんと考えを張り巡らせる人に育ちますように。このお話に出てくるような、バカな人には決してなりませんように。 ↓この宣伝やだ。
KAZが幼稚園児だったころ、週に一度はお弁当の日というのがあった。園からの手紙に、「以前、お弁当の代わりに菓子パンを持たせる保護者の方がいらっしゃいました。健康上良くないのでおやめください。」などといった文があり、そのときは「えー?そんな人がいるの?」と思ったものだが・・・まさかそれから2年後に、自分がその菓子パンを持たせることになろうとは、夢にも思わなかった!
遠足もあわせて、年に数える程度しかないお弁当の日。それなのに運悪く、前日から私も夫も、40℃近い高熱を出し、動けなくなってしまったのだ!しかも、私は数時間の間に4回も嘔吐を繰り返し、「救急車を呼んだらダメかなあ?誰か車で病院へ連れて行ってくれないかなあ?」などとつぶやいていた。 「ああ、明日はお弁当の日。でも、こんなんじゃ作れない。夫が元気だったら、夫に任せるのに。」と、私は苦しみながらもお弁当のことを考えていた。もちろん、翌朝になっても具合は悪いままで、オール冷凍品のお弁当すら作れそうになかった。仕方ないので、最終手段として、家にあったチョコチップメロンパンとくるみぶどうパンを持たせることにした。そして、せめてもの栄養に・・・とバナナも一本ビニール袋に入れた。 最後に、渾身の力を振り絞って連絡帳に菓子パンを持たせたおわびを書き、判を押した。またそれで更に気分が悪くなったので、夫にKAZをきちんと送り出すことを頼んで寝室に戻った。もちろん、夫もまだかなりの熱があったのだが。私は「お弁当を作れなくてごめんな。」とKAZに謝った。 その後、学校から帰ってきたKAZに、皆からなぜパンなのかと聞かれなかったか?と尋ねると、「大丈夫。先生が説明してくれたから。お父さんもお母さんも病気だから作れなかったって。」と、KAZは明るく答えた。今にして思うこと。お弁当の日に菓子パンを持ってきたという表面の事実だけを見ずに、その裏に隠された原因まで、きちんと考えを巡らせてほしい。 ***************************** 今年は悪い運を最後に出し切ったので、来年はよい年を迎えられそうな気がします。 来年もよろしくお願いします。また見に来てね (^-^)/
今朝、脱ぎ散らかしたKAZの寝間着を拾うと、昨夜はいていた靴下が片方しかない。ソファーを見ると、学校にはいていったはずの青い靴下が片方だけ残されている。もしやこれは?!私は、今朝のKAZの行動を思い出してみた。確か、KAZが寝間着のズボンを脱いだとき、片方の白い靴下が脱げたのを見た。次に、ソファーで青い靴下をはいているのを見た。それからはわからない。
青い靴下をはいているとき、KAZはテレビに夢中になっていた。靴をはくときは、靴を見ないでサッとはいていた。そのとき私は何をしていた?玄関のクローゼットからダウンジャケットを出し、「ほら、着なさい。」と言って手渡したが・・・足元は見ていない。まさか?まさか? KAZは、両足別々の靴下をはいていった? しかも、右足は白で左足が青いのを?? まさかそんなことが?? しかし、状況からいってそうとしか考えられなかった。色目が同じような靴下なら、そのまま放っておいたかもしれない。帰宅後に確認すればいい。しかし、片方が白で片方が青なんて、目立ちすぎる!!クラスの皆から笑われているKAZの顔が目に浮かんだ。恥ずかしさのあまり、素足で上履きをはいているかもしれない。夏ならまだしも今は冬。素足だなんて冷えるではないか! 小雨が降る中、私は自転車を飛ばして学校へと向かった。青い靴下を片手に・・・。学校に着くと、まず事務室に向かい、「息子が両足別々の靴下をはいている可能性があるから確認したい。息子に会えるか?」と聞いてみた。すると事務員さんは、「今は授業中だから、靴下を預けてくれれば、休み時間に本人を事務室に呼び出してはきかえさせる。」と答えた。 私は、「自分の勘違いだったらそれでいいから。」と言って、片方の青い靴下を事務員さんに預けて自宅に戻った。20分後、先ほどの事務員さんから電話があり、「お母さんの気にされていたとおりだった(!)から、はきかえさせた。」という連絡を受けた。 やっぱり!!! KAZはやっぱり、片方が白で片方が青の靴下をはいて行っていたのだ!! KAZは素足にはならず、そのまま靴下をはいていたらしい。それにしても、なんてアホな子なんだろうと思う。信じられない間違いをする。まだまだ、母親の私が気をつけてやらなければならない。彼のそういうアホなところが、かわいいのだけれど。 KAZ、小学2年生。8歳の12月の出来事である。{T_T)
学校から、12月に命の大切さを教える授業をするので、子どもあてに手紙を書いてくれという知らせが来た。妊娠中の気持ちや子どもが生まれたときの様子を書いてくれという。私はひらがなをたくさん交えながら、こんな内容の手紙を書いた。
KAZくんへ ○○年○○月○○日○○曜日、○○時○○分、○○県○○市で、お父さんが見まもる中、KAZくんはうぶ声をあげました。お父さんはあなたのたんじょうのしゅん間をビデオにとろうとしていたのに、赤ちゃんのKAZくんよりいっぱいないてしまって、さつえいができませんでした。 にんしんがわかったのはとてもさむい冬のころ。りょう親のいないわたしは赤ちゃんをうむのがふあんでした。だから、毎日「KAZくん、お父さんがお休みの時に生まれてきてね。」とおなかの中のKAZくんにおねがいをしました。KAZくん、お母さんのおねがいをきいてくれてありがとう。KAZ君が生まれた時、KAZくんもお父さんもわんわんないておかしかったけれど、とてもしあわせな時間でした。 KAZくん、生まれてきてくれてありがとう。 お父さん、幸せな時間をありがとう。 母より ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ すると、今日、KAZが返事をくれた。 大すき大大すき ありがとう 大大大大大大すきだよ お母さんへ お母さんぼくを心ぱいしてくれてありがとう。 お母さんのおかげでぼくは生まれてこれたんだよ かみさまのおかげではなく、母さんのおかげでもあるよ。 お父さんがいない時もがんばってくれてありがとう。 とても寒い冬のころもいっしょうけんめいにがんばってくれたおかげで生まれたんだよ。お母さん本当にいままでありがとう。 KAZより 「寒い冬のころも一生懸命に頑張ってくれたおかげで・・・」を読み、そういえば、私はつわりがひどかったことを思い出した。あの頃はまだ仕事をしていて、つわりで仕事を休んだこともあった。妊娠初期のころは、本当に寒かったしつわりもつらかったが、頑張って乗り切った。なのに、忘れてしまってたよ、そんなこと。 妊娠中は、人には言えない辛いこともあった時期でもあり、おなかの子と一緒に乗り切った感がある。 でも、そのことは言えない。 いつか、言えるようになったらKAZに言うかもしれない。 一生言わないかもしれない。 私と共に戦ったこと。 あなたとお父さんが私の支えだったこと。 あなたがいたから私は強くなれたこと。
KAZが最上位クラスに入ってから数日が経過したが、クラスが変わったからといって別段何の変化もない。どうやら「低学年のうちはどこのクラスでも同じ。」と塾の先生が話していたとおりのようだ。塾では、2月が新学年スタートなので、3年生になったKAZを考えるようになった。3年生になると、曜日も授業時間も変わり、理科や社会の授業も始まる。秋には初めての全国模試を受けることにもなる。
塾では算数も国語も、学校より高度なものをやっている。最初は慣れるのに大変だったが、最近はそうでもないようだ。例えば算数の場合。難しいといえば難しいのだが、少し目線を変えただけで、やっていることは基本だ。現段階では受験に向けての基礎作り、土台作りといったところか。地盤をしっかり固めている最中の、まだ何も建てていない建設現場のようだ。 国語に関してもだんだん実力がついてきた実感がある。長い話を読んで問題を解くのにも慣れてきたのか、問題を解くスピードが以前より速くなってきた。それは算数にもいえることで、結果、学力向上につながっている。やはり、長時間かけてすればいいってものでもなさそうだ。スピードも重要である。 スピードといえば、九九を覚えた先着5名は、「九九の先生」になれるのだと学校から帰宅したKAZから聞いた。それぞれの段をいち早く覚えた先着5名の児童らは、まだ覚えていない児童らの先生となって、九九練習を聞いてやるのだそうだ。KAZはその先着5名に必ず入るのだと奮闘し、何とか2と5と3の段の「先生」になったと喜んでいる。 このように九九ひとつにしても、誰よりも早く覚えるという意識も大切なのではないかと思う。みんなが覚えてしまった後では、誰が先着5名に入ったかなどどうでもよくなり、「覚えた」か「覚えていない」の問題だけになるだろうと思う。しかし、この先着5名の者たちは今後、成績上位者になっていく可能性は高いと思われる。もしかすると、中学受験組に発展するかもしれない。 まだ、誰もが解けて当たり前といった低学年のうちは、時間を意識して問題を解く訓練をすべきだ。その差が今後大きな差になっていくだろう。少なくとも、中学受験を志す者たちには言えることだと思う。
きっかけは図書館で借りてきた「小学校に英語は必要ない。」という本だった。読んでみると、確かにそうだなと考えさせられる内容だった。そうでなくても、週休二日になって授業時間数が昔より短くなったというのに、あえて主要教科の時間数を減らして英語をやる意味がどこにあるのか?ということだった。
小学生の頃から英語の環境を作れば、英語力が身につくということだろうが、実はここに矛盾があった。本によると、昭和26年の指導要領では、中学の英語は週に4~6時間あったが、昭和52年頃から週3時間に縮小され、現在に至っているという。どうやら1週4時間以下では効果が極めて減るらしい。だったら、この中学の時間数を見直すのが先決ではないのか? そこで、私はふと思った。では、土曜日も授業をしている私立中学ではどうなんだろうか?と。それで、ちょっと幾つかの私立中学を調べたところ、週に5~6時間、英語に時間を割くのはむしろ普通という印象を受けた。それは国語や数学、他の教科でも同じことで、あえて公立と比較している学校すらあった。小学校は調べていないけれど、恐らく小学校も同じだろう。 つい先日、「大阪はあらゆることでワーストワンです!大阪のお母さんたちは、お金があったらみんな私立に行かせたいと思っているんです!」と、前大阪府知事の橋下さんが言っているのをテレビで見た。その時は「え?そうなの?」と驚いたが、あの言葉が今よみがえってくる。 私も小学校受験を考えなくもなかったが、受験する準備が整っていなかったのでKAZを公立小学校に入れた。私はそれでよかったと思っているけれど、私立より授業時間数が短いのはやはり気になるところだ。だから、中学は私立に入れたいという気持ちがある。公立の中高一貫校も悪くはない。だが、やはり土曜日の授業はなく、授業時間数が短い。そのぶん学費は安いし、家からも通いやすいのだが・・・ 5年生の頃には進路を決定するが、第一志望は私立にするだろうと思う。
先日、大阪府に住んでいる小学生の親御さんと話す機会があった。その方から聞いたのだが、関西には「あのね帳」というネーミングの小学1年生用の作文ノートが売られているらしい。「え?何?それ?知らない。そんなの、関東には売ってないよ!見たことがないし!」と、驚きまくる私。まさか同じ日本国内で、地方によって市販されていないノートがあろうとは夢にも思わなかったのだ。
「それ、どこででも買えるの?」と聞くと、普通にスーパーで売っていると言うではないか。私だって小学生の子を持つ親。大体どこの会社がどんなノートを販売しているか知っているし、文具コーナーで各種ノートを手に取り、どれにしようかと品定めをしている。 それなのに!私は「あのね帳」なるものを見たことがない!きっと、私だけ知らないということはないだろうから、恐らく関東では売られていないノートだろう。あのね帳をご存じない方のために簡単に説明すると、あのね帳とはいわゆる小学1年生用の作文ノートのことであり、「せんせい、あのね・・・」という書き出しで始まることから、「あのね帳」と呼ばれるそうだ。普通に文房具店やスーパーで手に入るらしい。 「1年生の時は宿題であのね帳が出たんだけど、最近は作文の宿題がないんだよね。」と、その方が話してくれた。そういえば、KAZが通う公立小学校も作文の宿題などなく、たまに日記を書くという宿題が出る程度だ。授業では作文の書き方の指導があったらしいが。先生も児童の作文を添削するのが面倒なんだろう。実際、先日の懇談会で、「私はあまり宿題を出さない。見るのが面倒。ふふ、本音(笑)」などと、保護者の前で堂々と言い切ってしまう先生だからだ。 実は昨夜も、「毎日練習!九九プリント」に保護者の判を押しているとき、並んでいる先生の判がみんな横向きに押してあるので、「これ、なんで先生の判は全部横向きなんだろうねえ?」と、夫に意見を求めたばかりなのである。不思議なことに、縦一列に並んだ先生の判はみんなきれいに右横を向いていた。 「これは意図的に押したんだ。じゃないと、こんなきれいに横向きには押せない。恐らく、予め机の上にいっぱいプリントを置いておき、ポンポンポンと押しまくったんだろう。」と夫が言っていた。答えは永久にわからないが、意図的に横向きに判を押しているのは事実だろう。先生はいったいどのようにして、プリントに判を押しているのだろうか?今年最後の謎である。 そんな感じなので、学校任せでは到底作文力が身につくわけもなく・・・ KAZの場合、学校外で養成されている作文力(文章力)なのだ。塾の国語の授業では、文章問題を毎回たくさんやるし、月に一度は題材が与えられた作文を提出する。塾には作文を専門に見る先生が別にいて、丁寧に添削して返してくれる。通信教育では、毎月提出する添削問題に先生へのおたより欄があるので、短文ながらも必ず書いている。更に、理科実験教室の実験レポートもきっちり書いて毎回提出している。 ・・・とこのように、普段からKAZは、とにかくたくさんの文章を書いている。今年の夏休みは400字詰め原稿用紙2枚の読書感想文も書いた。あれは大作だった。残念ながら入賞は逃したけれども、大変良い経験になったし、参加賞にボールペンも頂いた。そんな努力の甲斐あってか、KAZはクラスでも一番の文章力を誇る。 先日、授業参観で「創作話の発表会」が行われた。子どもたちが自分でお話(紙芝居)を創作したのだが、他の子どもたちのお話はみんな短いのに、KAZはやたら長い。お話を聞いていた子どもたちから、「長いよー!」とブーイングが出ても、「最後まで読みたい!」とKAZはブーイングをはねのけた。 お話の発表は1人2話だったが、先生に2つめは短いのにしてと言われたといって、2話目は非常に短かった。その後に行われた懇談会でも、先生はそのことに触れた。「ご覧頂いたように文章力に差が出ています。長い子は何枚もお話が書けるんですが・・・」と話されたので、「あ、KAZのことを言っている!」と私はすぐわかった。 内容の出来は別にして、KAZが長文を書けるのは当たり前といえば当たり前なのだ。普段たくさんの文章量をこなしているんだから。
かけ算を習い始めたら速いもので、2の段、5の段、3の段を覚えてくるようにという宿題が出た。宣伝でよく見かけるのだが、一部の通信教育の教材の付録には、九九のCDやゲームがついているものがあるらしい。その宣伝を見ては、KAZもそれらを欲しがっていた。
「おかあさん!これがあったら、早く九九を覚えられるよ!」とKAZは言うのだが、「そんなのがなくても覚えられるよ。私だって昔、覚えたんだから。多くの人は、そんな道具がなくても間単に九九を覚えられるものだよ。」と説得し、地道に覚えさせていた。 塾で既に習ったからか、テスト準備のために徹底的に覚えさせたからか、今の彼には九九の練習はもはや宿題にはならない。「4年生になっても覚えていない子がいる。」と先生は仰っていたが、なんで覚えていないのか?2年生の時に覚えたけど忘れてしまったのかなあ。なかなか覚えられない子には、CDやゲームを使うというのもアリなので、九九は学校で習い終わるまでには完璧に覚えたほうがいいだろう。 ということで、各家庭で様々な子育てに関する悩みがあるものだ。先日行われた懇談会でも、母親たちがそういった悩みを打ち明ける場が設けられた。私の悩みといえば、KAZが5時(暗くなる前)にきちんと帰宅しないため、一度締め出したという話をした。ここでも書いたことがあるので、覚えている方もおられるかもしれない。その後で、「これはしつけではなくて虐待かもしれない」と思ってやめた・・・という話である。その話をした時、懇談会で軽く笑いが起こったが、私は冗談ではなくて大真面目に話したのに。本気で、これが虐待かも・・・と反省したのだ。 そういえば、今月は児童虐待防止月間だそうで、私も駅前でオレンジのリボンをもらった。そのときにもらったパンフレットにも、「冬の締め出しは虐待」と書かれてあった。私が締め出したのは冬ではなかったが、冬じゃなければ虐待にはならないのだろうか?定義があいまいである。 懇談会で皆の話を聞いていくと、男子を持つ母親と女子を持つ母親とでは、悩みの種類が違うことがわかった。男子を持つ母親と悩みはもっぱら、危険な遊びや無謀な自転車の乗り方を心配したり、遊びたがってなかなか宿題や勉強に集中しないといった悩みが多かったが、女子を持つ母親はちょっと違った。 娘にこころの悩みを相談されるんだけど・・というものが多かった。友達同士とのつきあいに悩んでいたり、頑張っているのになかなか努力が報われないなど。男子とは違う女子特有の悩みといったところか。小2の後半にもなってくると、いろいろ変化が生じて悩みも複雑化してくるらしい。以前から感じてはいたが、男子と女子とでは脳の構造が違うのだろう。男子はもっと単純であり、親の悩みも大体共通している。 「男の子(女の子)ってどう育てればいいんですか?」 一言で言ってしまえば、みんなそれに尽きる。女の子と男の子とでは育て方が異なると思う。だから教育の仕方も変わってくると思う。男子校に女子高。超優秀な学校はなぜかみんな共学ではない。そういう書籍も出ていて、これは実に興味深いことである。
意外に思われるかもしれないが、私はそれほど授業参観が好き(楽しみ)というわけではない。先生はどんな教え方をしているのか?他の子たちの授業態度はどんな感じか?ぐらいの個人的興味はあるけれど。もちろん息子の授業中の態度もしっかり見ているが、それよりも先生や他の児童、クラスの雰囲気など、全体的を観察している。んー、特に先生かな、私が見ているのは。
10月下旬からついにかけ算が始まり、先日、その様子を授業参観で拝見させてもらった。先生が黒板に「2×5」と大きく書いて「これはなあに?」と問うと、皆が口々に「ニゴ!ニゴ!」と叫ぶ。答えは×。これはニゴではなくて「2かける5」なのである。この時点で、多くの子どもたちが、2の段の九九を習うより前に知っているということがうかがい知れる。 聞いてもいないのに、勝手に大声で2の段を言い出す子がいるわ、式だけ聞いているのに答えまで言ってしまい、皆からひんしゅくをかう子もいた.。練習の時、ゆっくりはっきり言ってほしいのに、早口言葉のように2の段を言う子どもたち。みんな、とても得意げである。かけ算を予習してこなかった子たちは何だか肩身が狭い。 先生が「2×5」を説明できる人はいるかと尋ねると、多くの子どもたちが手を挙げた。「2の5つぶん」、「2が5個」、「2の5倍」などという答えが返ってくる。では、「2+5」を説明できる人は?という質問になると、とたんに手が下がった。これは、手を挙げる子たちが減っても仕方がないだろう。彼らの持つ少ない語彙のなかで、どう説明したらよいのか? しかし、先生はやたら驚いた素振りを見せ、「ええー!皆さんどうしたのー?わからないのー?1年生からやり直さないとダメなの?皆さん、サヨナラ~」と言って手を振るのだ。保護者たちの前でそんなふうに言わなくてもいいのに・・・と、ちょっと嫌味な感じがした。子どもたちは、もちろん2+5がわからないわけではない。質問が唐突すぎたのだ、と私は思う。 こうなると、子どもたちが「裸の王様」状態に陥ってしまうのは目に見えていた。 恥ずかしい。みんなの前で、先生にあんなふうに言われてしまっては手を挙げるしかない。どう説明していいかわからないけど、とりあえず手を挙げよう・・そう考えたのだろう、パラパラと多くの子たちが手を挙げ始めた。 KAZは手を挙げなかった。先生がどう言おうと、わかったふりなどはできなかったのだろう。後から手を挙げた子が先生に当てられ、「7」と答えた。先生は「答えを聞いているんじゃないのよ。はい、次の人。」と素っ気無い。 「・・・。」その子はどう感じただろう。
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