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私が考える教育とは
留年制度があろうとなかろうと、KAZにはきっちり勉強させるとブログで書いていて、ふとそれが当然なんだよなと考えてしまった。学校を選ばなければ、勉強しなくても大学まで行けてしまう昨今。そんな時代になって、こりゃ嬉しいと喜んでいる親や学生はどのぐらい存在するのだろう。勉強がわからなくても、義務教育の間はみんな進級できるし☆とか、どこか入れる高校はあるだろう♪とか、気楽に考えている人がいるとしたら、それは問題だろうと思う。

「小学生に留年はどう思う?」と、地元の教育学部の大学生に意見を求めたら、「私は反対です。小学生のうちは遊べばいいと思うから。」と言われ、やはり若いなあと思ってしまった。断片的にしか物事を見ていないのだろう。高校生を例にすると、勉強のできる子は、留年したくないから勉強しているのではない。留年制度など関係なく、勉強する子は勉強するのだ。

小学生であってもそれは同じで、例えば私など、そんな制度などがなくても、子どもが理解するまできちんと勉強させる。本人が勉強しないから、あるいは保護者が勉強させないから、在学中に勉強につまずき、わからないまま中学・高校へと進んでいってしまう羽目になる。私が思うに、小学生にも留年はあり!と唱える人は、自分の子だけでなく、他の子の教育もきちんと考えられる人なのだと思う。つまり、教育熱心な人か教育関係者たちだ。

留年というと、一般的には、ええ~!かわいそう~と思ってしまいがちだが、学校側だってバンバン留年者を出そうとは考えていない。むしろ、一人も出したくないから、高校生の場合、補習などして何とか進級させようと教師も頑張っている。長期入院などの特別な理由を除いて、それでも留年してしまう者がいれば、それはもうよっぽどの学力なのだ。

留年は罰ではない。このままその子を進級させても、その子は勉強についていけないから、その子のためにもう一度最初から教えましょうという、救護策なのだ。勉強を理解していないのに、進級させるほうがかわいそうだと、私は考える。だから、先ほどの学生のように、「小学生に留年なんて・・・」という意見を聞くと、真剣に教育のことを考えている?と思ってしまうのだ。

そもそも、世間の皆さんはどんな思いで子育てをしているのだろう。人から生真面目だと言われる私なんかは、日々、日本の未来を担う人材を育てていると思っている。実のところ、私が完全専業主婦になってから3年ぐらいしか経っていないのだが、近所の人たちはそうは思っていない。物事に優先順位をつけていくと、現在私が最優先したいのは子育てなのである。長い人生、子育てに専念する期間があってもいいんじゃないかと私は思うのだが、なかなか理解されにくい。

ひとりの人間を育てているという大仕事。誰も代わりのいない保護者という立場。すべてが、この生真面目な性格からくるものだと思う。しかし、もちろん、親の責任もあるんだけれど、こうして、限られた短い子育て期間を大切にして子育てを楽しんでいるのも、ひとつの幸せの形だ。
by o-chuck | 2012-03-12 11:26


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